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佐治漆について
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佐治漆の歴史は古く、応永20年(1413年)には天然の漆液が採取されたとの記録があります。
3月の分根作業に始まり、9月は樹液採取、秋から冬にかけての植栽など、多くの工程があります。害虫防除や除草剤の散布も欠かせません。
佐治漆を育て、漆液を塗る工程までを紹介します。
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研究会について
鳥取市佐治町は、鳥取市の南西部にあります。佐治町は、南北と西側が1,000m級の急峻な山並みに囲まれています。千代川の源流が岡山県辰巳峠(標高800m)、三国山(標高1,251m)から発して、19の集落が町の中央を東西に流れる佐治川流域に点在します。
佐治は、古くから日本でも有数の漆の産地で質の良い漆を算出することで知られていました。江戸時代、佐治漆は、藩内の漆器や木蝋の原料として利用されるだけでなく、その液は、丹波地方や京都に送られ、良質の漆として日本の伝統工芸を支えてきました。
佐治町の漆の最盛期は幕末の頃です。町全体で5,110本植栽され、漆液が1,177kg採取されるほど盛況で、鳥取藩の財政の源となっていました。その生産の盛んな様子は天保年間の「智頭郡加瀬木村田畑地統全図」「智頭郡春谷村田畑地統全図」における多数の漆畑地の記載からうかがえます。
明治時代以降も、漆は鳥取県の重要な産物であり佐治漆の生産は続きましたが、日本の近代化に伴い、漆産業は壊滅の危機にさらされていきました。
戦後、漆は安価な中国漆や代用品、化学塗料に置換わり漆産業は衰退しましたが、佐治では漆の生産が続けられました。しかし、高度成長期ごろから、佐治の産業が植林や梨栽培などに転換し、漆産業も昭和40年代に消滅しました。
平成28年10月、この佐治漆を再興しようと佐治漆研究会を立ち上げました。
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